【FF7R】なぜフィーラーは叩かれるのか?フィーラーの違和感や矛盾を考察

運命の番人として新たに追加された『フィーラー』。本家と決定的に異なる存在であり、作品改変の元凶として叩かれているポイントでもあります。なぜフィーラーは受け入れられなかったのか、理由を独自に考察しました。

追加シーンや新キャラクター、逆に削除された場面やセリフも多いFF7リメイク。
しかし、大筋の流れは基本的に本家に沿っています。
ただ1つ、「フィーラー」という存在を除いては。
現にミッドガルハイウェイでは、本編に大きく絡む形でクラウド達の前に立ちはだかりました。
この改変を残念に思う声はネット上でも多く聞かれます。

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フィーラーの違和感

なぜフィーラーが叩かれる要因になってしまったのか。
それは単純なストーリーの改変というより、整合性が取れていない点にあるように思います。
どのような所にフィーラーの矛盾や不自然さがあらわれているのか、個人的に感じた部分をまとめました。

邪魔しにくる場面に一貫性がない

本家の流れを阻害する場面で邪魔しにくるフィーラーさん。
エアリスとクラウドの出会い(「一旦解散」という言葉から想像すると、エアリスが何か伝えようとした?)、伍番街魔晄炉爆破作戦にクラウドを参加させるため、七番街の支柱に登る直前、などなど。

本家の流れから外れようとすると邪魔しにくるはずなのですが、こないシーンもいくつかあります。

エアリス救出前の地下研究所なんか、その最たる場所。
地下で人体実験の後を見つけたタイミングでようやく出現しますが、遅すぎでは。
むしろ早く救出に行かないほうが、エアリスの身に危険が及んで本家通りにならないよね。

あと神羅ビルに潜入しているウェッジもそう。
生存の時点で運命に逆らっている上、神羅ビルに来て脱出の手助けをしています(本家で死んだという明確な描写はないにしろ、本来神羅ビルには来ない)。
普通はビルに入る前にフィーラーさん止めない?設定無視して残酷に描きにいってる(ウェッジを連れ去って暗転後、ガラスの割れる音)のは、演出の都合上?

都合の良いお助けマン

運命通りに進ませたいフィーラー、邪魔するだけではなくメンバーを守るシーンも目立ちました。
エアリス落下を助けたり、ハイウェイでは瓦礫からメンバーを保護しまくる大ハッスルぶりです。

なら、原作になかったキャラクターのピンチには全部フィーラーがかけつけるはずだよね?
新追加のピンチシーンでフィーラーがこない場面と、フィーラーが出現せずにどうなったかも以下にまとめてみました。

①壱番街魔晄炉脱出の最後 →クラウド華麗にジャンプ
②バレット達地下施設に落下 → 普通に落ちる
③神羅ビル潜入前にプレートを登っていく時に落下 → ワイヤーアクション
④神羅ビルでセフィロスに足場切られてクラウド落下 → 普通に落ちる
⑤バレットグサー → 事後に蘇生
⑥ルーファウス戦後のクラウドぶら下がり →ティファ駆けつける

多分もっとありそう。
しかし覚えてるだけでも、新追加で命の危険を感じるピンチシーンが結構あります。
落ちても命に別状なさそうな教会のエアリス落下は防ぐのに、それより明らかに危ないシーンを無視するフィーラーさん…。

誰かが駆けつけたりアクションのシーンはまあ、仕方ない部分もある。そういうシーンとして見せたいだけだから。
普通に落ちるのはどう考えてもご都合だろう…。

セフィロスに無力なフィーラー

クラウドが見るセフィロスの幻影や、バレットが刺されるのを止められないアレです。
ミッドガルでセフィロスコピーが出現するのは、本家では神羅ビルが初になります。
しかしクラウドたちと対峙はせず、ジェノバが持ち去られた後やプレジデントを殺害した刀、パルマーの証言などからセフィロスの生存を確信するわけですが。

一方リメイクではセフィロスコピーがわんさか出るので、本家の流れを無視していることになります。

宝条の言及には介入するのに、なんでクラウドの精神を揺さぶってくるセフィロスコピーはスルーするんだろう。
一個人の問題は星に関係ないってなら納得なのですが、なら宝条の言及にズサーしたのと矛盾するんですよね(この辺の考察も詳しくは後述しています)。

バレット刺しちゃった事件も一番の不可解なところ。
本来は刺す前の段階で止めるのが、運命の番人の仕事でしょう。
バレットはここで死ぬ運命じゃないからダメーって、なら七番街で避難した多くの人とかは本来どうだったんだ?とか……色々深く考えるほど、納得のいかない点が多いですね。

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何を以ってして運命なのかが定まっていない

なぜフィーラーにこんな矛盾が多いかというと、そもそも何を以ってして「運命」なのかが定まっていないからではないでしょうか。
シンプルに考えれば、本家の流れが「運命」と言えます。
しかし本家にない所でフィーラーが出てこない、本家通りに進まなくても邪魔しに来ない時点で、100%本家の流れ通りになるのが「運命」ではなくなっているのです。

また、今回「運命」として語られているのが、レッドの言っていた「星は力つきる」という未来です。
しかし本家のEDでは、星が力尽きたようには見受けられません。
500年たって人類はどうなったかわからないものの、星そのものは健在。
人類のいない未来=星が出した答えだとしても、星が力尽きた未来と捉えるには到底矛盾があります。

この時点で、「運命」が本家通りの流れであり、なおかつ“星が力つきる未来”というのが矛盾していて「???」と感じるわけです。描かれていない星の最期があると仮定しても、500年以上も先なんだからクラウドたちの行動との因果はないはず。むしろ、クラウドたちが星を守ったという行動が、500年後の星が生きている未来に結びついている、と見るのが自然です。

さらに言えば、本当に星の運命に関係するか?って場面でも出てくることに違和感があります。
クラウドが伍番街魔晄炉の作戦に参加しなくても、結果的に爆発するんだから(神羅がアバランチのせいにして壊すから)クラウドいなくても関係なくない? ←よく考えたらここは関係あった。爆発後の落下でエアリスと再会するためだ。
宝条がクラウドの正体に言及しようとしてズサーってやられる場面も、あくまでクラウド個人の問題のはず。

クラウドは星を救うために必要っていうんなら、やっぱり命の危険に現れない時点でおかしいので、どのみち矛盾するんですよね。

運命=本家の流れじゃなく、本当に星が力つきる未来(リメイクのオリジナル)だと言うのなら、本家のシーンやEDを見せる必要もないはずなんですが…。

フィーラーは本当に必要だったのか

製作側は大筋を変えるつもりはないと語っているようですが、フィーラーが大筋と全く関係ないのならまるっきり蛇足になりますよね。

結果が出るまでの過程は変わるのでしょう。
その過程の規模が大きいから、運命が変わるという程にしたかったのかなぁと考えました。

例えばエアリスの生死なんかもそうです。
これを星を救う「過程」と見るのか、星を救う上でなくてはならない「本筋」だと捉えるのか(生死を過程と言うのは適切ではないかもしれませんが、ここはわかりやすく敢えてこう表現します)。

ここはバレットのやっちまった事件とも絶対に比較される訳で。
フィーラーは倒したし、「運命」では片付けられない状況です、むしろ運命変えるために倒したはずですしねぇ。

変更したいけど良い理由が思い浮かばないからフィーラー出した、というような、製作事情の方がどうしても透けて見える(矛盾が多い故に)。
こういう部分が、プレイヤーがモヤモヤしている理由なのではないでしょうか。

FF7ファンとして最期までしっかり見届けたい気持ちはあります。
でも何部作になるか決まってないっていうのは、さすがに怒り通り越して呆れたというか…ゲーム作ってくれてる方たちに対してこんなこと言いたくないんですが。正直ガッカリしました。

ということで(?)、いつ出るかわからない次回作までに、フィーラー関連のモヤモヤを垂れ流してスッキリさせました。
個人的にはゲームとして面白いかどうかを重視したいんだけど、FF7って星を救う物語にそのゲームとしての面白さの大部分があると思っているから、モヤってしまった。マテリアとかチョコボとかミニゲームももちろん良いんだけどさ。
あんまり深く考えすぎてもダメってのはわかってる。期待も大きすぎたんだ。しかしどうしてもフィーラーの矛盾は…否めない!

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